幕末 江戸も戦場になっていた! 意外と知らない?上野戦争

3/24(水)NHKBSプレミアムで再放送された『英雄たちの選択』の上野戦争の回を見ました。

 

自分は江戸無血開城でなんとなく平和に終わったと思っていたので、衝撃でした。(自分だけかもしれませんが)

まさか、江戸無血開城が始まりだったなんて…

 

西郷隆盛勝海舟による無血開城の後、旧幕臣たちは彰義隊を組織し抵抗。旧幕府軍は榎本艦隊という最強の海軍も所有する一方、西郷たち新政府軍は、江戸城を持っているだけで、勢力圏が点でしかない。まさに孤立状態。

この時期、まだ庶民の間では、どっちが勝つか分からない、むしろ新政府軍の方が怪しいやつらと思われてたらしい。

それが変わるのが上野戦争以降で、旧幕府の逃亡兵に対して「味方」と言っていた庶民が、旧幕臣たちを「賊」と言うようになるそう。これはどの地域でも見られたことなんだって。新政府に罰せられるのが怖いっていうのは分かるし、その時自分が生きていたら同じことをしただろうし、今でも同じようなことあるよな~と感じました。

 

幕臣にしてみれば、江戸城無血開城に対して「なんでだー!怒」となっても不思議じゃないし、むしろそうなる方が普通だと気づかされました。

逆になんで今まで、江戸城無血開城ですんなり終わりました的な考えしかしなかったんだ…

 

結局上野戦争は、半日で決着がつき、新政府軍の勝利で終わるのですが、勝因はというと、長州の大村益次郎の存在が大きかったということらしい。

大村益次郎は、西洋風の兵学を日本に取り入れた人で、事実上の日本陸軍創始者でもある人ですね。

また、勝因には、肥前佐賀藩のアームストロング砲も勝因に挙げられるそう。

ただ、番組では、このアームストロング砲は、弾が小さいものであり、アームストロング砲だけのおかげではないと言われていました。

 

上野戦争のとき、西郷は何をしていたかというと、指揮を大村に任せたきりだったそう。この時は、新政府軍が苦戦していた東北の奥羽越列藩同盟の方を気にかけていたとも言われていました。

西郷の役割は、実際に江戸城無血開城あたりまでで、これ以降の西郷は沈んでいくだけらしい。

 

また、寛永寺についても、恥ずかしながら初めて知りました。

東の比叡山だから東叡山、3大将軍家光の時代1625(寛永2年)に建てられたから「寛永寺」で、東叡山寛永寺というそうです。

境内は、上野戦争で焼け野原となり、現在では上野公園になっています。

いずれ行ってみたいと思います。

 

(注)以下、大河ドラマ『青天を衝け』のネタバレがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に、番組ではそこまで触れられていませんでしたが、彰義隊の中に、「渋沢成一郎」という名前を発見。これは現在大河ドラマでやっている渋沢栄一と関係あるのではと思い調べたら、がっつり関係ありました。

実は、ドラマで高良健吾さん演じる渋沢喜作のことでした。(喜作は幼名)

しかも彰義隊の頭だったそう。めちゃめちゃ関係あるじゃん…

さらにこの人、函館戦争まで旧幕府側で戦ってるそうです。

その後は栄一の仲介で大蔵省に入省。その後、これまた栄一のおかげで、養蚕製紙を学びにヨーロッパに渡航。帰国後は大蔵省を辞め、商いや財界で活躍するそうです。